奈良県吉野郡大淀町佐名伝自治会 歴史・文学・産業・行事・イベント・活動内容などの紹介

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佐名伝自治会
奈良県吉野郡大淀町佐名伝
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佐名伝自治会(さなて)

 
 
 近畿地方の中央に、海に面していない県・奈良県があります。奈良県のちゅおうぶには東西に走る
中央構造線と呼ばれる大断層があり、それに沿って紀ノ川(吉野川)が流れています。これを境に
県は北部と南部に分けられています。北部には奈良盆地があり、南部には紀伊山地があり高度
1500mから1900mの山々が連なり、日本で一番降水量の多い地域となっています。
 私たちの町・大淀町は、南に帯状に紀ノ川(吉野川)が東西に流れ、町の北側には紀ノ川に平行して
東西に連なる中央構造線と重なるように龍門山系があります。
 「佐名伝」は、大淀町の西部に位置している村で、村の南には東西に吉野川、北には同じく
東西に龍門山系(大阿太高原)があり、その中間部に110数個の家が点在しています。
それが私たちのふるさとです。
 私たちの村の歴史を見ると、吉野川の河岸段丘に弥生時代と思われる石器や石斧・石棒などが
出土しています。また、古墳時代後期と考えられる須恵器杯身の小片や、かまどのある竪穴式
住居跡が確認されています。しかし、発掘調査は十分にされていないため詳細は不明です。
しかし、人々は早くから定住していたと考えられます。
 
 
 時代は鎌倉時代に入り、佐名伝が所属していた宇智郡一円に御霊神社が分祀され、そのころに村の
鎮守として御霊神社の前身がたてられていtのではないかと推察します。と、言うことは集落が
形成され水田耕作が行われていたと想像します。このころは、全戸国的に荘園が形成された頃で、
宇智郡の豪族宇野氏の荘園として「佐那手」の存在を知ることができます。(三箇院家抄・興福寺
大乗院文書)
 それと前後すること、山口県仙崎にある「称林寺梵鐘」により、「称林寺」という寺院が佐名伝に
存在していたことがわかりました。
 室町時代になり、十五世紀の五輪塔と十六世紀初期に建立された五輪塔が百合尾墓地にあります。
(この塔は、もと佛眼寺の境内にあったものが昭和20年代に移転したものです。
 このことから考えられることは、集落があったことが想像されます。そのことは、佛眼寺建立
とも大きく関連してきたことでしょう。永禄十三年に浄土宗佛眼寺として建立されています。